マキャベリズムでおなじみのマキアヴェッリ。
権謀術数とか残酷とか冷酷とかあまり良くない単語を連想するのですが、君主論を読む限り、そのようなことはなかった。15世紀のイタリア君主の心がけとして、至極真っ当なことを書いていると思いました。
当時のイタリアは外憂内乱でゴタゴタしていたようです。最後の第26章で、イタリア人よ古のごとく勇敢であれ、みたいなことを言ってます。イタリアの現状を憂い、強いイタリアを願う、真っ当な政治家でした。
26章立てで、具体例を出しつつ、こうしてはならない、こうすべきだ、と断定していきます。各章が短いこともあって読みやすい。
「持つべき土台の基本とは、良き法律と良き軍備である」P.91
「君主は、慕われないまでも、憎まれることを避けながら、恐れられる存在にならねばならない。」「何よりも他人の財産に手を出してはならない」P.128
「憎悪や軽蔑を招くような事態は逃れるように心しなければならない」P.137 この後に、憎悪や軽蔑を招く具体例が記されています。
いわゆるマキャベリズムっぽいと思ったのはP.134。
「君主たるものに必要なのは、先に列挙した資質のすべてを現実に備えていることではなくて、それらを身に着けているように見せかけることだ。それらを身につけて常に実践するのは有害だが、身につけているようなふりをするのは有益である、と。(略)
そうでないことが必要になったときは、あなたはその逆になる方法を心得ていて、なおかつそれが実行できるような心構えを、あらかじめ整えておかねばならない」
ただ、これは君主なら当然求められる心構えだろうな、と思いました。
ここでいう「そうでないこと」とは、慈悲深く、信義を守り、人間的で、誠実で、信心深い、の反対です。
あとは、P.72の、加害行為はなるべく一度にできるだけ少なく。恩寵は小出しでなるべくゆっくりと味わえるように、っていうところも。でも、これも当然と言えば当然です。すぐそのあとで、「君主は、臣民たちと共に暮らして、良きにつけ悪しきにつけいかなる変事が起ころうとも、不変の対応ができなければならない」と断言しています。ここで、良い時は恩寵ですし、悪い時は処罰です。君主であればその2つを常に不変に実施するのは当然です。これがぐらつくと、人々はとまどい、離反するに決まっている。
当たり前のことをわかりやすく説いたから、500年の間、読み継がれたのでしょう。
もう少しで日没ですが、雪が降り続いています。寒い年越しになりそうです。
今年は、新型コロナウイルスのゴタゴタが続いた一年でした。来年はもうちょっと明るい一年になりますように。