Kawataka’s diary

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生物から見た世界 (ユクスキュル/クリサート)

1934年ユクスキュルの著作、イラストがクリサート。生物の行動を通して「環世界」という概念を語る本です。

生物からみた周囲の環境を環世界と定義しているようですが、
主体が知覚するものはすべてその知覚世界になり、作用するものはすべてその作用世界になる。知覚世界と作用世界が連れだって環世界という一つの完結した全体を作りあげている。(P.7)
となっていますので、知覚だけではない。

環世界を観察する際、われわれは目的という幻想を捨てることが何より大切である。それは設計という観点から動物の生命現象を整理することによってのみ可能である。(P.79)
人間は目的をもって日々生きているが、生物は目的ではなく自然設計されたとおりに生きている。目的という単語の用法が若干怪しい気がしますが、言いたいことは分かります。
 

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この本で一番面白かったのが、

どうして我々は、知覚的には与えられていないのに、椅子は座るもの、コップは飲むためのもの、梯子は登るものと判断するのだろうか。われわれは、自分がその使いかたを学習しているあらゆるものに、その形や色と同じように確実に、それを使って行う行為を見てとるのである。(P.91)

自分の環世界の対象物でおこなうあらゆる行為について作用像を築きあげており、それを感覚器官から生じる知覚像と不可避的にしっかり結びつけるので、その対象物はその意味を我々に知らせる新たな特性を獲得する。これを作用トーンと呼ぶことにしよう。(P.92)

人間は、一回だけ椅子を覚えたら、あとはどんな形、色、大きさの梯子でもそれが何かを理解します。たとえ幼稚園児であっても、毎回「これ何?どうやって使うの?」と聞いたりしません。
昔、AI技術の本でも同じような議論を見た記憶があります。人工知能に椅子を教えるには、あらゆる形、大きさの椅子を見せて「これは椅子、座るもの」とプログラムしなければならない、と。
当分の間、人工知能は人に追い付けないんじゃないか、と楽観的に考えています。