Kawataka’s diary

週末と休日メインで更新中

青空

5月末らしい青空が続いています。日差しは強いが湿度が低いから過ごしやすい。

昨日、東京都心の上空をブルーインパルスが飛行したそうです。新型コロナウイルス対応の医療従事者に感謝の気持ちを表すために。
青空の中を白煙を曳いて飛ぶT-4ブルー、絵になります。

 

 

仕事続きで気が張り詰めた時に、ちょっと外へ出て晴れた空を見上げると気分が良くなることがあります。そういう点でも効果があったと思います。たぶん医療従事者以外の人にも。よかったんじゃないでしょうか。

 

 

アメリカでも医療従事者向けに同じような展示飛行が行われていました。たしかイタリアやカナダでも。日本もそれらに倣ったのかもしれません。

アメリカは空軍のサンダーバーズと海軍のブルーエンジェルスがタイアップ。

 

 

そういえば、U.S.Navyのツイッターでは、アイコンの鷲がマスクをしています。ウイルス対策しているらしい。ちょっとかわいい。

twitter.com

 

 

今週のカレー

今週はハウスのジャワカレー中辛。
昔からテレビCMではおなじみのカレールーですが、食べるのはこれが初めて。

housefoods.jp

結構辛い、そしてなぜか和風だしの香りがほのかに感じられる。
美味しいです、ジャワカレー。日本人の味覚に合うように綿密に計算されている感じがします。さすが、昭和の時代から売られ続けているカレー。先月からのカレーキャンペーンの中ではジャワカレーがNo.1です。

 

ライブ配信

いろんな大学が前期の講義をオンライン講義でサクサクと進めているらしいです。出欠席がすぐばれるので学生は気が抜けないでしょう。

 

陸上自衛隊富士総合火力演習も今年はネットでライブ配信でした。
(日曜の一般公開は中止、代わりに土曜の演習をYouTubeライブ配信
一般公開のチケット確保はかなりの高倍率と聞いたことがあります。ライブで誰でも観れるようにするのは来年もやって良いんじゃないでしょうか。

ドローンによる空撮が良かったです。車両を上から見たり、着弾地点の斜め上から炸裂の瞬間を撮ったり。あとはバイクのオンボードカメラも。工夫されていました。

 

火力演習では無線交信がスピーカーで流れるのですが、隊長の指示に対して部下は「〇〇、了解」と答えます。当たり前と言えば当たり前なのですが、地味に興味深い。
会社では「了解は上司が部下に対して使う言葉。部下が上司に使うと失礼に当たる。承知しました、と言いなさい(書きなさい)」と言われるんです。→おかしいな、と思ってます。上下関係が厳しい自衛隊では「了解」でもOKなのに、って。
無線交信だけなのかな?会話では「承知しました」って言ってるんだろうか。

似たような話で、メールで、課長とか部長の後に殿を付けるかどうか、と言うのもありまして、人によって言うことが違うから厄介。
「課長という単語にはすでに敬称が含まれているから殿を付けると二重になってしまい、日本語としておかしい。殿は付けないこと」と言う人がいれば、「課長の後には殿を付けること」と言う人もいます。
ちょっと調べると、旧日本海軍では大佐と呼んだが、旧日本陸軍では大佐殿と呼んだそうでして、いろいろと背景はあるんでしょうが、結局のところ、どっちでも正解なんじゃないかと思っています。
殿を付けろは陸軍派、付けるなは海軍派、そして陸軍と海軍は仲が悪い。。。

一度、「チコちゃんに叱られる」で調べてほしい。

今週のカレー

昨日は雨ふりでしたが今日は朝から快晴、暑い一日でした。
外出自粛が解除されたので公園もスーパーも人が一杯。公園前ではかき氷を売ってました。日常が戻って来た感があります。
ただし、県境を超えての移動は依然として自粛中。

 

今週のカレーは成城石井の「おうちでカレールー」。

原材料:小麦粉、植物油脂、砂糖、食塩、オニオンパウダー、アプリコットペースト、トマトペースト、カレー粉、酵母エキス、中濃ソース、ソテーオニオン、生姜、にんにく、赤ワイン、赤唐辛子、カラメル色素、(原材料の一部に大豆、リンゴを含む)

アプリコット?生姜? カレーにはあまり馴染みのないものが入っているらしい。

item.rakuten.co.jp


動物性油脂が入っていないためか、さらさらっと食べられます。トマトの効果で酸っぱさが目立ちましたが、二日目になると酸味消えて辛さが立ってきました。胃に優しいカレーでした。

 これまでのカレーでNo.1はエバラの横濱舶来亭、濃厚で旨辛いところが好みです。

 

 

情念論 (ルネ・デカルト)

1649年、ルネ・デカルトが死ぬ3か月前に出版された本です。

f:id:Kawataka:20200516175630j:plain

情念とは、日本語では感情というような意味合いと思います。P.60には「単純で基本的な情念は、驚き、愛、憎しみ、欲望、喜び、悲しみの六つだけであり、他のすべての情念は、これら六つの情念のいくつかの複合、~」ということなので。

この本でユニークなのは第一部、人体の動作機構を「精気」という物質で説明しようとしたところでしょうか。精気とは「血液が気体化した微細な粒子の蒸気」(訳注)で、精気が神経の管を通って筋肉を動かす、と。当時は流布されていた説だったようです。
もちろん不正確なのですが、神経伝達とか感情の動きとか、当時はまるで仕組みが分からないことを、分からないなりに理屈を考えて説明を試みています。人体をまるで機械であるかのように見なして、インプットとアウトプットで説明をしていきます。
さすが、科学者デカルト

 

第二部の「愛着、友愛、献身の違い」とか「愛と憎しみの違い」とかとか、昔も今も人間が疑問に思うことはそんなに変わらないみたいです。
「子供と老人が泣きやすいのはなぜか」って真面目にこれを論じるのが面白い。

第三部、不決断について。
「現前するすべてのものについて確実で決然たる判断をする習慣をつけ、さらに、最善と判断することを行えば、たとえその判断が大きく間違う可能性があっても、とにかく自分の義務を果たしている、と思う習慣をつける」P.149
優柔不断を戒めています。 

 

第三部の最後から。
「情念はその本性上すべて善い、その悪用法や過剰をさけるだけでよい」 P.178
「偶然的運にも恵まれない場合は、人生においてまた最大の辛さを見いだすかもしれない。けれども、知恵の主要な有用性は、次のことにある。すなわち、みずからを情念の主人となして、情念を巧みに操縦することを教え、かくして、情念の引き起こす悪を十分耐えやすいものにし、さらには、それらすべてから喜びを引き出すようにするのである。」

感情は本来善いものだ。だけど感情に振り回されるな。感情をコントロールできれば安定して暮らすことができる。ということと理解しました。

 

 

デカルト本はひとまずこれで終わり。

5月10日

2020年度の全日本吹奏楽コンクールおよび東海吹奏楽コンクールが中止と決まりました。なかなかに重い決定ですが、現状を考えると他に選択肢が無い。致し方ない。

HP情報では、三重県支部の行事については5月中に決めるそうです。
3年生にとっては最後のシーズンです。無念なところがあるでしょうから、受験にギリギリかからず、冬のウイルスが来る前の、10月上旬に県大会を開催してはどうか、と思います。1,2年生にとっても、舞台を経験させるのは重要ですし。
三重県の夏コンクールは地区大会がありません、いきなり県大会です。)
6月から練習を再開して4ヵ月あったら曲を纏め上げられると思います。
中学高校の小編成と大編成で4日間、いつもの三重文で。

無観客も止む無し。費用に不安があるのであれば、協賛金を募るとか、来年のチケット代先払いシステムとか、やってみる価値はあります。

哲学原理(ルネ・デカルト)

1644年、デカルト48歳の時の著作です。

冒頭、哲学を定義します。
哲学なる言葉は知恵の探求を意味」そして、「知恵とは単に処世の才能ではなくして、生活の思慮についても、健康の維持やあらゆる技術の発見についても、人間の知り得るすべての事物の、完全な知識を意味する

論理学とかそういうことに限定せず、日常の知識全般を指す。
哲学原理の後半では物理学についての記述が出て来ますし、方法序説では人体についての記述も出て来ました。デカルトは、自然科学者に近いということをいまさらながら知りました。科学者ととらえると俄然親近感がわいてきます。

 

 P.91に正しく哲学するために守るべきことが要約されています。「真面目に哲学し、かつ認識可能な一切事物の心理を探求するためには、第一に、あらゆる先入観が除かれねばならない。」とにかく疑うこと。これがデカルトの教え。

P.35 「真理を探求するには、生涯に一度はすべてのことについて、できる限り疑うべきである」とも。
でも、個人的に面白かったのが、その次のページで「しかしこの疑いは実生活には及ぼされるべきではない」と言っているところです。実生活で疑ってばかりいたら決断できなくなるから、ってことでしょうか。確かに生活し難くなるでしょう。
一般向けの著作だからか、こういうフォローをきちんと入れるところ、デカルト先生に親近感がわきます。

f:id:Kawataka:20200425152824j:plain

この本に慣性の法則が出てくるのが超意外でしたが、ちょっと調べたら、ニュートンの前にデカルトが提唱していたとウィキペディアに書いてありました。高校物理の教科書には書いてあったのかもしれませんがまるで覚えていませんでした。(これでもう忘れません。)
P.126 自然の第一法則 一度動かされたものは常に運動し続ける

ただ、第二、第三と議論が進んでいくと、運動量保存則っぽいことが出てくるのですが、ちょっと正しくない。

デカルトは、「量や重さは感覚だから物質の本性ではない」としてしまったからでしょう。運動量保存則を議論するには質量が必要な気がします。
デカルト的には、長さと幅と深さが物体の本性だそうです。)