Kawataka’s diary

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中日春秋から 「大切なのは普通の語で非凡なことを言うこと」 (byショウペンハウエル)

昨日の中日新聞、中日春秋がショウペンハウエルを引用して環境相の発言を批判していました。なかなか度胸あります。『読書について』を引用するのは。 なぜなら、この本は、痛烈に新聞雑誌の匿名記事を批判しているから。

以下、中日春秋から引用。
ドイツの哲学者ショーペンハウアーは、文筆を仕事にする人に向けて述べている。
<知者のごとく思索し、しかしだれもが使う言葉で語れ・・・ふつうの言葉を用いて、非凡なことを語りなさい>(『読書について』 *1
普通の言葉で非凡なことを―その難しさに悩み続けてきた身には、耳に痛い。言葉が命の政治家にも、きっとあてはまる・・・と思いきや、だれも使わないような言葉で普通のことを語る人がいたようだ。
(後略)
その後、環境相のセクシー発言を例示し、文末を「あまり笑えない」と批判的に締めくくっています。確かに、セクシー発言は私にも意味が分かりません。が、それはさておき。

ショウペンハウエルを新聞で引用するのは結構な度胸がいります。
この本には、新聞や雑誌に対しての痛烈な批判が書いてあるから。
 P.49 匿名こそ文筆的悪事、特にジャーナリズムの悪事一切の堅固なとりでではないか。したがってこのとりでは、根こそぎ破壊されなければならない。
 P.52 署名のない批評に対する我々は、さらに直接次の言葉を補ってもさしつかえはない。すなわち「詐欺漢!」
等々。ほかにもいろいろ。(ページNo.は岩波文庫版)

こんな本を引用したら、「じゃあ、署名もいれずに名指しで環境相を批判するのはどう思うの?ショウペンハウエル流に言うと、詐欺漢だよ!」って突っ込まれるかもしれない。だから度胸あるな~と思った次第です。
まさか、全部読んでない?拾い読み?要約本とか名言集だけ読んだ?そんなことないよね。たぶん。

 

 


参考までに、当該文章を岩波文庫版から。
確かにできるだけ偉大な精神の持ち主のように思索すべきではあるが、言葉となれば、ほかのだれもが使うものを使用すべきである。この点は一般にドイツの著作家たちも、認めても良さそうなものである。大切なのは普通の語で非凡なことをいうことである。P.69」とても生き生きとした文章。訳者の工夫が垣間見えます。

 

 

 

 

 

*1:正確には、引用元は「読書について」ではなくて、「著作と文体」だと思います。
岩波文庫のタイトルは「読書について 他二篇」となっています。その二篇のうちの一篇。 まあ、訳本によって違うのかもしれませんが。