Kawataka’s diary

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パンセ (パスカル)

フランスの科学者、哲学者パスカルの遺稿集です。
パスカルは1662年に39歳で亡くなっており、死後にメモ書きなどを纏めて本にしたもの。だから全編を通してまとまりはありません。主語はなんだろう?という文章も多い。が一言ひとことに重みがあって飽きない。また、メモ書きの集成だから飛ばし読みしてもOKというのはありがたい。

メモ書きだけで400年間も読み続けられ、研究されてきた、というのが凄い。偉人です。
そして私よりも年下ということに愕然とします。つらつら書くだけならこのブログとなんら変わらないのですが。。。

 

パスカルパスカルの原理でおなじみの物理学者で、圧力の単位にもなったくらいの超有名な科学者。
物理学と同時にキリスト教にも心惹かれていたようでして、パンセではキリスト教について多く述べられています。特に後半は神についての論述が続き、キリスト教の知識がないと読むのが難しいが、前半は哲学とか道徳倫理の話なのでさほど難しくはない。

 

パスカルで有名なのは「人間は考える葦である」というフレーズ。
前後を読むと、言いたいことは、「良く考えるようにしよう」だと分かります。

考えが人間の偉大さを作る。
人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。

だから、われわれの尊厳のすべては、考えることの中にある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、我々が満たすことのできない空間や時間からではない。だから、良く考えることを務めよう。ここに道徳の原理がある」(P.225)

 

もうひとつ有名なのは「クレオパトラの鼻がもっと低かったら」ということばでしょう。これは人間のむなしさというところで例示されています。
全般に、人間性をちょっと斜に見ている感じがしました。

クレオパトラの鼻。それがもっと短かったなら、大地の全表面は変わっていただろう。
恋愛の原因と結果とをよく眺めてみること以上に、人間どものむなしさをよく示すものはない。なぜなら、全世界はそれによって変わるからだ。クレオパトラの鼻」(P.111)

 

神についてはかなりの部分を割いて書いています。面白いと思ったのは、神の存在について賭けをするというくだりで、
神があるというほうを表にとって、損得を測ってみよう。次の二つの場合を見積もってみよう。もし君が勝てば、君は全部もうける。もし君が負けても、何も損しない。それだから、ためらわずに、神があると賭けたまえ。-これは、すばらしい。そうだ、賭けなければいけない。」(P.160)
ここだけ抜き出すとごり押ししてるだけみたいに見えますが、神の存在を信じても悪いことはないよね、って言うのは面白い視点と思いました。確かにそうです。悪いことはない。

 

序盤にデカルト評が出て来ますが、ばっさり切り捨てています。

私はデカルトを許せない。彼はその全哲学のなかで、できることなら神なしですませたいものだと、きっと思っただろう。~それから先はもう神に用がないのだ。」P.56

デカルト
大づかみにこう言うべきである。「これは形状と運動からなっている」と。なぜなら、それは本当だからである。だが、それがどういう形や運動であるかを言い、機械を構成してみせるのは、滑稽である。なぜなら、そういうことは、無益であり、不確実であり、苦しいからである。そして、たといそれがほんとうであったとしても、われわれは、あらゆる哲学が一時間の労にも値するとは思わない
」(P.56~57)

デカルトは人間の感情を機械に例えて説明していました。神経とか脳の構造が全く分からなかったときに、とにかく説明しようと。無理筋なところもありましたが、そんなにばっさりと切り捨てなくても。。。

ただ、確かに、デカルトの神の記述には、存在を証明しなければならないという義務感みたいなのが感じられました。パスカルにはそんな義務感は感じられず、実在するものとして、自然に受け入れている感がありました。

 

 

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今回は中公文庫版。表紙はパスカル肖像画