Kawataka’s diary

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武家の女性(山川菊枝)

岩波文庫から。
いつもの哲学や思想とはちょっと毛色が異なります。
ですます調で、日本昔話のような柔らかい文体、読み易い。
幕末の水戸藩士の家庭生活が題材で、著者の母からの聞き書きをまとめられたそうなので一次資料とは言えないのですが、信頼性の高い歴史資料です。

当時の女性にとって着物が唯一といってよい財産だったこと(P.52)、その着物を自分で縫えるようになることが嫁入りの条件だったこと(P.64)など、着物は単なる衣服という以上の意味を持っていた。
だから、形見分けで着物を分けるのは単なる物の受け渡しという以上の精神的な意味が込められていた。

一方で料理は、日々食材は変わらなかったから特に料理の腕は必要とされなかった、母親のやることを手伝っていたら自然と覚えるし、それ以上の技術は必要ではなかった、みたいなことが書かれていました。お漬物とみそ汁とごはん、夜は魚料理、これの繰り返しだった。
興味深いのは、食事の際、男女親子で席を分けていなかったというくだり。封建制度では男女で食事の席を分けていたと聞いた記憶があるのですが、少なくとも水戸の下級藩士の家では家族一緒に食べていたそうです。

あとは結婚と離婚。女性の立場が弱かったのは容易に想像がつきます。
一方的に離縁を言われるのはいつも女性の側。ただし男女ともに死亡率が高かったから離縁されても再婚の口は比較的容易に見つかった。
幼子を残して奥さんが亡くなっ場合には初婚よりも再婚の女性のほうが望まれた。なるほど言われてみれば、です。
若くしてお嫁に入るから姑さんは自分のすべてを教え込み、ある意味自分の娘のように仕立てあげる。
息子の躾けは父親の受け持ちであった(P.179)というのも納得です。自分がいつ死んでも息子が後を継げるように、小さい頃から父親が厳重に躾けていた。

 

江戸時代が終わり明治時代となると、武家は職を失い苦労することになります。
ですが、下級士族の妻女たちは、もともと世襲的な特権に頼れなかったがために勤労と技能の習得によって衣食の資を得ていたので、その技術をもとに生計を立て、さらに政治や教育において指導的な立場を演じることになった。P.184
(一方で、特権に胡坐をかいていた上級士族や旗本の娘は芸妓などにならざるを得なかった。)
このあたり、働く女性のプライドが垣間見える一文でした。

 

中学生時代にこの本と出会っていたら夏休みの読書感想文の題材としたかもしれません。読みやすく、考えるところが多い本です。

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